「明るさ」ではなく「休息」を買う。バルミューダ・ランタンが教えてくれた夜の整え方

生活改善グッズ

※この記事には広告(アフィリエイトリンク)が含まれています。私が生活に馴染むと感じたものだけを綴っています。

部屋は明るいのに、心は暗いまま

夜、仕事を終えてパソコンを閉じる。

でも頭の中は、まだ「オン」のまま。メールの返信を思い出し、明日のタスクが浮かんでくる。気づけば無意識にスマホを手に取り、SNSのタイムラインをあてもなく流し見している。

天井から降り注ぐシーリングライトは、昼間と変わらない明るさで部屋を照らしている。作業するには快適だけれど、今の自分には「明るすぎる」と感じる。この光の中にいると、いつまでも「働く時間」から抜け出せないような、奇妙な焦燥感に包まれる。

ずっと探していたのは、心を「オフ」にするための、目に見える合図だった。

休息への「スイッチ」としての灯り

去年の冬に、このランタンに触れる機会があった。

きっかけは、夜の過ごし方に明確な「境界線」を引きたかったから。仕事モードと休息モードの切り替えが曖昧なままでは、中途半端な疲れが翌朝まで残ってしまう。

私がこのランタンを選んだ理由は、「便利だから」ではない。むしろ逆だ。これ一つでは作業もできないし、本を読むには暗すぎる。でも、それでいい。万能じゃないからこそ、この灯りは「今は休んでいい」という合図になるのだ。

スイッチを回すと、ふっと空気が変わる。それだけで、体が「ああ、もう頑張らなくていいんだ」と、少しずつ強張りを解いてくれる気がする。

正直に言う、これは「万能」ではない

バルミューダ・ランタンについて、これから手に取る人に誠実に伝えておきたいことがある。

このライトは、作業用の照明としてはまったく機能しない。パソコン作業はもちろん、読書灯にするにも頼りない明るさだ。調光を最大にしても、あくまで「ほんのり周囲を照らす」程度でしかない。

もし「おしゃれな読書灯」を探しているなら、このランタンは期待外れに終わるだろう。

でも私は、その「向かなさ」にこそ救われている。

この灯りをつけている間は、もうメールを返さない。資料も広げない。ただ、炎のような揺らぎを眺めながら、自分を取り戻す。そんな「何もしない時間」を強制的に作るための道具として、これ以上のものはないと思っている。

灯りと共に過ごす「夜の余白」

お風呂から上がって、髪を乾かしたら、まずは大きなシーリングライトを消す。

以前はYouTubeで「焚火の動画」を流して癒やされようとしていたけれど、やはり液晶画面の光には、どこか“情報の気配”が混ざってしまう。

代わりにバルミューダ・ランタンを灯して、テーブルの上に置く。

お気に入りのコーヒー(あるいは、少しのお酒)を用意して、スマホはあえて充電器に置いたまま。ランタンの灯りだけを頼りに過ごす、15分間の贅沢。最初は何をすればいいか戸惑ったけれど、今ではこの「何もしない」時間が、一日のうちで最も大切な時間になった。

この静かな余白の中で、私は他の「自分ケア」も組み合わせるようになった。

ランタンの揺らぎを感じながら、GROONYの着る毛布を羽織る。暖房の風に頼りすぎず、ふんわりとした温もりに包まれると、心までふかふかしてくる。

目が疲れているときは、電子レンジで温めたあずきのチカラを目元にのせる。蒸気の温かさと、瞼の裏に感じる柔らかな光の気配。

これらを重ねて夜のルーティンを整えることは、効率とは無縁だけれど、自分を雑に扱わないための大切な儀式だ。

自分を雑に扱わないための、光の段取り

このランタンには、実用的な側面も一つある。充電式で持ち運べるため、防災用の灯りとしても使える点だ。「普段愛用しているものが、いざという時に自分を守ってくれる」という安心感は、日常生活を支える小さな自信になる。

明日また、クリアな頭で机に向かうために。今日の疲れを、今日のうちに優しく降ろしておく。

私にとってバルミューダ・ランタンは、「明るさ」ではなく「休息」を買うための道具だった。

部屋の照明を消して、小さな灯りをひとつ灯す。それだけで、夜はぐっと優しくなる。

自分を雑に扱わないための、光の段取り。それが、私とこのランタンの幸せな関係だ。

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