「やらなきゃ筋トレ」から抜け出すための、小さな遊び

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在宅ワークの体は、静かに硬くなる

仕事が終わる。椅子から立ち上がる。そのとき、首の付け根あたりに、言葉にならない“重さ”が残っている。

画面を見続けた目の奥、キーボードを打ち続けた肩、座り続けた腰。どれも痛いわけではない。でも、確実に“動いていない”ことの痕跡が、体のあちこちに積もっている。

だから私は、筋トレを始めた。YouTubeを見ながら、プランクを。スクワットを。腹筋を。

最初は、体が軽くなる感覚があった。「ああ、動かすって、こういうことだったんだ」と思った。

でも、続けるうちに、何かが変わった。

「やらなきゃ」が、先に来るようになった。

体を動かすことが、いつの間にか“ノルマ”になっていた。義務になった筋トレは、重い。むしろ、やる前から疲れている。

それは、自分を少しだけ「雑に扱っている」ことにならないだろうか。

筋トレを「遊び」に戻す、という選択

私は、ストイックな筋トレを続けられる人間ではない。

「毎日30分」とか、「週3回は必ず」とか、そういう枠組みを自分に課した瞬間、体は動きたくなくなる。頭では「やったほうがいい」と分かっているのに、腰が上がらない。そして、やらなかった日の夜に、小さな罪悪感が残る。

それが嫌だった。

体を動かすことが、もっと軽やかであってほしかった。義務ではなく、ただ「面白いから」という理由で、体が動くような何かが、欲しかった。

そんなとき、デスクの隅に置いてみたのが、一つのカードゲームだった。

『筋トレバトルロワイヤル』。
知育カードパークという会社が出している、フィットネス×ゲームの体験型カードゲーム。

名前だけ聞くと、子供向けのようにも思える。でも、実際に手に取ってみると、これは大人の私にこそ、必要なものだった。

筋トレバトルロワイヤル

カードを引く、という「きっかけ」

ルールはシンプルだ。

カードを引く。そこに書かれたトレーニングを、その場で実行する。それだけ。

本来は対戦型のゲームだけど、私は一人で引いて、一人で動いている。

誰かと競う必要はない。ただ、カードが言うから、体を動かす。その日の気分で3枚だけ引いてもいいし、気が向けば10枚引いてもいい。途中でやめてもいい。

この「別にやらなくてもいい」という自由さが、不思議と、体を動かすハードルを下げてくれる。

「トレーニング」ではなく、「遊び」として

カードを引く瞬間、少しだけドキドキする。

「次は何が出るだろう」という、小さな期待。

スクワットや腕立てなど、シンプルな動きが中心で、どれも“その場でできる”ものばかり。特別な器具も、広いスペースも要らない。

でも、自分で「やろう」と決めたわけではなく、カードが「これをやれ」と言ってきた、という構造が、脳のスイッチを切り替えてくれる。

これは「トレーニング」ではなく、「遊び」なのだ。

仕事の合間の5分。晩酌前のひととき。朝、コーヒーを淹れる前の数分。

カードを引いて、体を動かして、それで終わり。

深く息を吸って、少しだけ息が弾む。頭の重さが、ふっと抜けていく感覚がある。

「頑張った」のではなく、「面白がった」。

その違いは、思った以上に大きい。

義務にしない、ということ

筋トレが続かなかったのは、私の意志が弱かったからではない。

ただ、体を動かすことを「仕事」の一部にしてしまっていたからだ。

「これをやらないと、体が衰える」
「これをやらないと、健康を維持できない」

そういう“正しさ”で自分を縛るほど、体は重くなる。

でも、このカードゲームは違う。

引いたカードに従うだけ。やってもやらなくてもいい。誰も評価しない。ただ、カードと私だけの、小さな時間がある。

知育カードという枠組みを超えて、これは大人の生活の“ノイズ”を消してくれる道具だと思う。

遊びもまた、リカバリーの一部

「整える」ことと「遊ぶ」ことは、矛盾しない。

むしろ、体を動かすことが“義務”になってしまわないように、遊びとして取り入れることが、長く続けるための、ひとつの知恵なのかもしれない。

『筋トレバトルロワイヤル』は、家族で楽しむこともできる。それはそれで、きっと楽しいのだろう。

でも私は今のところ、一人で引いて、一人で動いている。

それでいい。

このカードは、誰かと一緒でなくても、私の生活の中に、小さな“動”を呼び込んでくれる。

明日もまた、機嫌よく机に向かうための、ささやかな段取りとして。

筋トレを「義務」にしないための、小さな出口戦略として。

デスクの隣に、このカードを置いておこうと思う。

筋トレバトルロイヤルとは

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